モーニングブログなのですが日々のこともたまには書いていきたい。
方向性なんてまるでない拙ブログなのですが私信がLINEで更新告知いくのが申し訳ないな…と思ってたのですが、設定解除の方法があったのでテストしてみます。
LINE告知いったらごめんなさい。
過疎気味の当ブログ、輪をかけて今月は全然更新できなかったのですが、その理由として今月祖父が身罷りまして。
気ぜわしいというか、心ここにあらずというか。
ぽやぽやと過ごしていたのですが早いめに徒然でも文字に残しておきたいなと思って当記事を書いてみています。
母方の祖父、近くに住んでいたこともあり一番身近に感じていた祖父母なのでとても悲しい気持ちです。
そんな祖父の、私のなかでの一番古い記憶はたぶん、祖父の家の前の公園。
祖父母の家に預けられていた私を迎えに来た母と弟を出迎える場面。
なんで覚えてたかって、確か秋の雨上がりで母の運転する自転車がスリップしたんですね。
おそらく濡れ落ち葉に車輪をとられたんですかね。
えらいずっこけてた思い出があります。
それから、幼稚園の夏。
門限を破ったかなにかで家にいれてもらえなくて(もちろんポーズですが)もう帰る家がない…と絶望した私は、離れた祖父の家まで歩いて家出というか、新居を求めて旅立ったんです。
当時、住吉大社の近くに住んでいたので、祖父の家のある加賀屋までは1.5km。
大人の足でだいたい20分くらいかかる距離。
(今グーグルマップで調べた)
よく歩いたな…
昔から諦めは悪いのですが、決断してからの速度と方向性がぶっ飛んでる性格でした。
温厚で勉強が好きな祖父だったので、家にはたくさん本がありました。
短歌や古事記や日本書紀などの解説書が多くあって、私のこの堅苦しい文体はそこがルーツなんじゃないかなって今になると思うことがあります。
大学の卒業式には、大きなカメラを背負って遠くまで写真を撮りに来てくれました。
病気をして入院しがちになってからも、優しく穏やかで看護師さんや介護士さんたちにも愛されていました。
あと、戦中派ゆえか絶対にあきらめないぞマンだったので、何度も死の淵から蘇ってくるさまはほんと尊敬しました。
私だったら5回は死んでる。
そんなじわじわした日々の中で、少しずつできることや興味の幅が狭くなっていって、あれだけ勉強やお話がすきだったのに…と悲しくなることも多く、今思えばもっと会いに行っていればよかったな、なんて悔やむことばかりです。
今回のお葬式ではないのですが、以前参列したお葬式でお坊様が、「悲しんでいるのは残されたものだけです」って言ってたのがすごく印象的で、ほんとそのとおりだなあと身に染みるここ数日でした。
とりとめなく、うまくまとめることができないのですが今はこんな心境なんだよってことを残したくて一筆とってみました。
ありがとう!!!
って、かんじ!
ちなみに2月は私の誕生日でもありました。
記念に食べた唐揚げのタワー。

肉は癒しだな。
方向性なんてまるでない拙ブログなのですが私信がLINEで更新告知いくのが申し訳ないな…と思ってたのですが、設定解除の方法があったのでテストしてみます。
LINE告知いったらごめんなさい。
過疎気味の当ブログ、輪をかけて今月は全然更新できなかったのですが、その理由として今月祖父が身罷りまして。
気ぜわしいというか、心ここにあらずというか。
ぽやぽやと過ごしていたのですが早いめに徒然でも文字に残しておきたいなと思って当記事を書いてみています。
母方の祖父、近くに住んでいたこともあり一番身近に感じていた祖父母なのでとても悲しい気持ちです。
そんな祖父の、私のなかでの一番古い記憶はたぶん、祖父の家の前の公園。
祖父母の家に預けられていた私を迎えに来た母と弟を出迎える場面。
なんで覚えてたかって、確か秋の雨上がりで母の運転する自転車がスリップしたんですね。
おそらく濡れ落ち葉に車輪をとられたんですかね。
えらいずっこけてた思い出があります。
それから、幼稚園の夏。
門限を破ったかなにかで家にいれてもらえなくて(もちろんポーズですが)もう帰る家がない…と絶望した私は、離れた祖父の家まで歩いて家出というか、新居を求めて旅立ったんです。
当時、住吉大社の近くに住んでいたので、祖父の家のある加賀屋までは1.5km。
大人の足でだいたい20分くらいかかる距離。
(今グーグルマップで調べた)
よく歩いたな…
昔から諦めは悪いのですが、決断してからの速度と方向性がぶっ飛んでる性格でした。
温厚で勉強が好きな祖父だったので、家にはたくさん本がありました。
短歌や古事記や日本書紀などの解説書が多くあって、私のこの堅苦しい文体はそこがルーツなんじゃないかなって今になると思うことがあります。
大学の卒業式には、大きなカメラを背負って遠くまで写真を撮りに来てくれました。
病気をして入院しがちになってからも、優しく穏やかで看護師さんや介護士さんたちにも愛されていました。
あと、戦中派ゆえか絶対にあきらめないぞマンだったので、何度も死の淵から蘇ってくるさまはほんと尊敬しました。
私だったら5回は死んでる。
そんなじわじわした日々の中で、少しずつできることや興味の幅が狭くなっていって、あれだけ勉強やお話がすきだったのに…と悲しくなることも多く、今思えばもっと会いに行っていればよかったな、なんて悔やむことばかりです。
今回のお葬式ではないのですが、以前参列したお葬式でお坊様が、「悲しんでいるのは残されたものだけです」って言ってたのがすごく印象的で、ほんとそのとおりだなあと身に染みるここ数日でした。
とりとめなく、うまくまとめることができないのですが今はこんな心境なんだよってことを残したくて一筆とってみました。
ありがとう!!!
って、かんじ!
ちなみに2月は私の誕生日でもありました。
記念に食べた唐揚げのタワー。

肉は癒しだな。
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